頭がいいとは
- ayumi92399
- 2021年11月25日
- 読了時間: 5分
世界中を旅してきて(仕事とプライベート)様々な人種と職業の人たちとお会いしてきた。
彼らの多くはよくしゃべり、話を聞いてくれたりもした、
日本人との違いは自分の意見をしっかりと持っている。どのような状況になろうが対処をする能力にたけていた。
そして、何よりも決定的に違うのは自分で考える能力が高いということだ。人に指図されないと動けないまたは、常に組織の一員としてしか行動できないのが多くの日本人ではないだろうか。
当然大きな決定をせざるを得ないときはどの国でも即答は避ける。
ここに問題解決能力の手法が違うことが文化的風習としてあるのかもしれない。
何らかの問題を生じる交渉の時のスタンスが日本の場合解決するというより責任所在を自分で取らないという官僚的な交渉をしてくる。
外国人との交渉の場合上司にいかに掛け合い実現するという行為をまず考える。そのうえで、不可能部分を明確化し可能範囲を想定する。自分での責任範囲でできることとできないことが非常に明確なのである。
日本は長らく価格表営業をしている、そこでどの程度の範囲までが値引きなど可能かがマニュアルで記載されており交渉上限以上は基本的に無理ですと言って断るのが通常だ。
基本的に海外の場合マニュアル営業があまりない。範囲を超えた値引きなど条件交渉がある場合一方的な交渉などはしない。条件が不利になる場合有利な条件を相手に突きつけるのが常だ。
これはお客であろうが売主であろうが対等という基本が常識として成り立っているからである。
例えば、範囲を超えた値引き交渉があった場合、買ってもらう量を増やしてもらうことにより値引くための交渉理由ができる。日本の場合ただ値引きをしろのみ買主は主張をする。一方的に金額を提示しこれ以上は交渉しないという指定価格をしてくる。売主は基本的に飲むかやめるかの選択肢しかないのだ。
決裂した時にどう考えても双方にとってはメリットがない。
日本人はこの方法を世界に行いバッシングを受けたのだ。交渉ができない日本人はここからくる。それは政治の世界においても同じで有利な条件での条約締結ができないでいるし、相手が絶対的に強い者である場合無条件でのんでしまうのだ。
日本の官僚は優秀である。しかし頭がいいわけではない。東大に入る人間は優秀であるだからと言って頭がいいということではないのだ。
優秀というのはある意味努力のできる人間である。努力ということが頭がいいということとイコールではない。
ところが外国の上位大学に行っている人間は頭がいいものが東大よりはるかにいる。
頭が良すぎて人格がひねくれ曲がっているものも多いくらいだ。
自分は頭が悪いと生徒がよく言う、これは完全に間違えている。なぜなら頭が悪いというのを言い訳にしているからである。つまり頭が悪い事で勉強など努力をすることが嫌だ、やってもどうせできないというベースで物事を考えているためだ。
基本的に人は生まれてすぐに頭がよくなるわけではない。確かに一定量ギフトと呼ばれる才能の持ち主が存在はする。それらのものは正直決められた教育をすることにより能力を失ってしまう。つまり標準化された教育の範囲であればほぼギフトがあろうがなかろうが関係なく同列にいることができる。
つまり優秀には誰でもなれるのだ。
ここでいう頭のいいというのは成績が良い事ではない。頭の良さは基本的その育ってきた環境に左右されると考えられる。与えられたものが運よく興味を持ちそしてそれに没頭できる環境を協力できることが必須である。そして未知なる経験を多くして、思考する、シュミレーションを何度も脳内や機材などを使うことでだんだんと頭がよくなるのだ。そしてそれを表に出す機会を与えPDCAを繰り返すことによりさらなる高みに行く。
こうしないと頭は良くならない。与えられたものを単純に覚えるだけでは頭がよくはならない。正直大学受験までは暗記ゲームである。それだけで旧帝大レベルは十分対応できる。
大学受験までは勉強である。勉強は頭をよくするものではない、暗記だからである。
大学以上がその覚えたことを利用する頭がよくなる学習になる。
国語ができるものとできない者の絶対的な違いはたった1点のみである。背景知識があるかないかによる。この意味で考えると頭の良さというのは明確になるのだ。
背景知識は自分が体験などで得れる知識でありその経験(シュミレーションを含む)と思考により育つ頭がいいという条件になるのだ。
よく物事を一つだけ極めろという考え方がある、それはそれで否定をしない。しかしそれは大人になってから十分間に合うのだ。最も多くの活動期である18歳以下は様々な体験や思考をするべきで、パラレルいやマルチ思考をするべきである。
一転に集中するのはよろしい事ではない、これは命を失う可能性がある。運転を例にとってみるとわかる。しっかりと前を見て運転に集中しなさい。これは事故を誘発する。事故をさせないのであれば集中点を多く持ちその情報を整理して走りなさいというべきだ。
集中点が一つしかないと死を招きかねない。集中は何点もあるのだ。一つにスポットを与えるべきではない。一つに集中するときはほかの物を認識できなくなる。これは安全なところか瞬間的な危機の時であれば良い。それ以外の平常時は集中を配分し分ける事ができなければならないのだ。
これも頭をよくする要素として重要である。
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